かぼてぃーのブログ

かぼちゃ頭で考えたことと経験したこと

17年前の夏、応援してくれてありがとう。

昨日は高校野球の応援に行って来た。

 

従兄弟が出てる試合を見るためだ。

 

もうこの夏、3回目だ。

 

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残念ながら試合には負けてしまったけど

素晴らしいゲームだった。

 

一生懸命やる姿って

人を感動させる。

 

そして選手同様に親御さんが

一生懸命応援する姿が

 

僕に17年前の記憶を思い出させた。

 

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17年前、中学3年生の僕は

 

全国大会の切符をかけて

 

千葉県代表のチームと宇都宮で

 

戦っていた。

 

この試合に勝てば全国。

 

本気で全国に行きたいと思って

 

練習をして来たし

 

前年に全国優勝したチームが

 

『朝早起きして選手が自主的に練習をしてた』と聞いて僕は

 

同じ部屋の伊東くんと早朝起きて

ティーバッティングをホテルの近くの学校でやったりして。

 

 

でも、試合には負けてしまった。

 

最終回、

『ツーアウト満塁で4番に回せ!』という監督からの指示を僕らは達成し、4番まで回ったけど、残念ながら負けてしまった。

 

あぁ、僕らの夏は、僕らの野球は終わったのだ。

 

試合後、僕は泣いた。

悔しくて悔しくて。

 

選手の両親はみんな東京から宇都宮まで観に来てた。

 

社会科の先生も

国語の先生も

英語の先生も

みんな来てた。

 

炎天下の中

みんなが本気で

僕らを応援してくれてた。

 

『今日勝ったら全国だし、泊まろう!』

 

って言ってたんだよって

 

後でお母さんから聞いた。

 

 

あの夏、

 

全国を目指してたのは

僕らだけじゃなくって

 

お母さんもお父さんも妹も

先生もみんな目指してたんだ。

 

17年経った今、

 

改めて応援してくれた皆さんに

 

感謝の気持ちが溢れて来た。

 

ありがとうございました!!

 

 

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なんか最近すごい泣く

4歳の息子の話である。

 

なんだか最近凄くわがままになってるし

自分の思い通りにいかないとすぐに泣くし

保育園行きたくなーい!!とか言い出すし

 

「おや??」これは今までと違うぞって思って。

 

今までは保育園行きたくなーい!!って泣くことなんて無かったから

これは大きな変化。

 

行きたがらない息子を

「途中でカルシプ買ってあげるから」とモノで釣り、取り敢えず保育園に。

※カルシプは息子用語でカルピスの意

 

途中のスーパーでカルシプのグミを買い、2つぐらい食べて登園。

 

保育園に着いたはいいけど

「おとーさーん、行かないで〜」と半べそ。

 

娘は違う保育園なので一旦娘を送って、また舞い戻る。

 

そして時間の許す限り、息子の朝のオシゴトを見学させてもらった。

 

先生から子育てのアドバイスも頂いて貴重な時間だったなぁ。

 

今朝の出来事で最近の息子との関わり方を反省。

どうしても手のかかる下の子に目も気も行きがちだけど

それじゃダメだなって。

 

意識して息子とのコミュニケーションをもっと密に取ってあげないと。

 

お兄ちゃんなんだから我慢しなさい

 

みたいなことは

息子に取ってはストレスだよなぁって。

 

そいえば

赤ちゃんの時は沢山ギュってしてたのに最近はあんまりしてないなぁ。

 

もっと抱きしめてあげよっと。

子供が親を求めて遊んでくれるのも今のうちだもんね!!!!

 

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晴れでも雨でも最高

世の中には

 

自分でコントロール出来ること

自分ではコントロール出来ないこと

 

がある。

 

でも

 

それを理解してない人が多いなぁと思う。

 

そんなわけないでしょ!

全部自分の思い通りにいくわけないことぐらいわかってます〜!

っと思っている人ほど

 

朝起きて「わぁ、雨じゃん、最悪〜」とかで

テンション下がったり、不機嫌になったりしてたりするんじゃないかな。

(統計とかとってないから知らんけど)

 

雨の例で言えば

 

雨は別に「最悪」でも「最高」でもなく

 

ただの雨だ。

 

そこに意味を見出している人がいるだけだ。

 

しかも自分で天気はコントロール出来ない。

 

コントロールしようがないものに対して

不機嫌になったりするのは「時間と心」が勿体無い。

 

他人をコントロールしようとする人は多いけど他人はコントロール出来ないからね。

 

恋人は夫婦でも無理だから笑

 

天気も人間関係も

「自分の思い通りの人になってくれる」

 

なんて幻想はとっとと捨てて現実を受け入れましょう。

 

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【付き合いで】が嫌い。

僕は頑固だ。

 

自分がやりたいと思ったことしか

やりたくないし

 

やりたくないと1ミリでも思うものは

やりたくない。

 

みんなもそうかもしれない。

 

でも現実はどうだ。

 

僕は誰かとご飯に行ったりするのも

【付き合いで】行くなんて事は絶対にしない。

 

付き合いで時間を消費すること程

人生は長くない。

 

この

【付き合いで】という言葉が嫌いだ。

 

だから僕は会社員時代から

【付き合いで】飲みに行くなんて

 

絶対にしなかった。

 

行きたかったら行く。

行きたくなかったら行かない。

 

上司からの誘いを断れない?

同僚からの誘いを断れない?

 

それは断れないんじゃなくて

 

【断らない】という決断をしてるだけだ。

 

断ったら気まずいから

断らないでおこう

 

という決断を。

 

 

感情だけが正解だ。

 

論理の中に答えを探しても正解はない。

 

自分の感情に素直に生きる。

 

自分の感情を論理でねじ伏せて

騙して

自分を正当化して

【これがやりたかったんだ!】と

 

自分に思い込ませるような生き方は

したくない。

 

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あなたの可能性を信じてる人

あなたの家族は、恋人は、友人は

 

あなたのチャレンジに賛成しますか?反対しますか?

 

「賛成してくる人」はあなたの可能性を信じている人。

 

「反対してくる人」はあなたの可能性を信じていない人。

 

チャレンジは未来だ。

 

うまくいくのか失敗に終わるのかは誰にもわからない。

 

でも、じゃあなぜ賛成する人と反対する人がいるのか。

 

それはあなたの可能性をどう見ているか?だ。

 

やってみないとわからないことだからこそ

 

「可能性にかける」ことしかできないわけだ。

 

それを否定することは即ち、可能性を否定することでもある。

 

チャレンジする内容がどうこうじゃなくて

あなたの可能性に対しての態度なのだ。

 

だからチャレンジを反対する人は

「やめときなよ〜あなたの可能性は信じれないよ〜」なのだ。

 

逆に賛成することはあなたの「可能性」に期待している事でもある。

「うまく行きそうな内容だからチャレンジしなよ〜」ではない。

 

賛成する人はその人の可能性を信じている人なのだ。

「いんじゃない〜あなたの可能性を信じているよ〜」なのだ。

 

そして思う。

誰かに反対されるぐらいで辞めるチャレンジならば

そもそもやるべきではない、と。

 

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朝起きたら「チャンス」が隣にいるなんてことはない

昔、死んだじーちゃんから

 

「悪いことをした時に

誰も見てないと思ってもな

自分とお天道様だけは見てるんだわ」

 

って話を教えてもらったのをふと思い出した。

 

 

 

チャンスは必ず人からやってくる。

 

ある日起きたらベットの横に「チャンス」が居て

「おっす!おら、チャンス!」なんてことはない訳で。

 

道を歩いてて空から急に

「チャンスが降ってくるよー!」なんてこともない訳で。

 

必ず「人」からやってくる。

 

でもその「人」は知り合いとは限らない。

 

今日お昼に入った定食屋の女将さんかもしれないし、

 

駅で切符の買い方を教えてあげた外国人かもしれないし、

 

カフェでお会計をしてくれた人かもしれない。

 

誰がどこで「チャンスの神様」になるかはわからない。

 

だから人生は、おもしろい。

 

あなたの今目の前にいる人は

もう一生会わないかもしれないし

一生付き合って行く人になるかもしれないし。

 

だからこそ

日々の過ごし方が大事。

どこで誰が見てるか本当にわからない。

 

毎日を丁寧に。

自分と接する人を丁寧に。

 

 

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君はなぜ、それをやるのか??

かぼてぃーも今まで目標設定は沢山してきた。

 

でも達成されたことよりも未達に終わることが多く、

 

しかもなぜ達成できなかったのか振り返ることもせず、

 

ただなんとなく「達成できなかったー」で終わってた。

 

そしてまたある日を境に目標を立てる。

月初や月末、自己啓発本を読んだあと。。。(そういえば最近自己啓発本、一切読まなくなった)

 

目標を立てた瞬間こそが瞬間最大風速で

 

そのあとはドンドン目標に向かう熱量という風は吹かなくなる。

 

立てた目標に対して諦めているわけではいけれど

 

残日数でこの目標だとちょっと・・と思ってしまうこともあった。

 

でも大切なのは

 

目標設定じゃなくて

 

必要なのは

 

目的設定。

 

何をやるか、どこを目指すかより

 

何故やるか。

 

whatより

 

why。

 

つまり自分の欲求、気持ちこそが答え。

 

欲求に正解なんてない。

 

 

やりたかったらやればいいし

やりたくなかってらやらなければ良い。

 

やりたくないことを無理やり

こねくり回して

やりたい理由や

やるべき論を振りかざすから

おかしな事になる。

 

何でそれをやりたいのか?

どうなりたいのか?

 

が大事。

 

何故やりたいのかを深掘りしていけば良い。

トコトン自分の欲求に向き合えば良い。

 

何故自分はそう思うのか?

の自問自答を繰り返せば良い。

 

目的に圧倒的な熱量がないとうまくいかない。

最後は気持ちだ。

 

 

 

「なぜ、やるのか??」

 

これこそが最大にして最重要な問いだと

 

かぼてぃーは思うよ。

 

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「ちゃんとしている」という価値

会社員時代には気づかなかったけど

 

世の中には「ちゃんとしてない人」が以外に多い。

 

「かぼてぃー!お前はちゃんとしているのか!?」という議論はさておき、

 

独立して仕事をしていると

 

この「ちゃんとしていること」ってだけで頭一つ出れるなって思った。

 

ちゃんとしてるってのは

 

・連絡したら返事がちゃんと返って来る

・待ち合わせをしたらちゃんと時間に来る

・頼み事をしたらちゃんと頼まれ事をやる

・ある程度のマナーがちゃんとしている

・「おはようございます」「ありがとうございます」「ごめんなさい」

といった挨拶がちゃんとできる

 

といった感じだ。

 

要は

 

「約束したことをちゃんと守る」ってことに集約されるかもしれない。

 

もっと言うと

 

「信頼」

 

と言う言葉かもしれない。

 

信頼されない人、商売は上記の「ちゃんとできる」が「できていない」ことが

殆どだ。

 

だから、会社員の時に

 

メールは返さないし

いつも遅刻するし

頼まれたことは忘れるし

マナーは一切無視で

挨拶もできない

 

って人は独立しちゃダメだと思う。

 

会社員なら毎月のお給料が勝手に払われるけど

独立するとそうはいかない。

 

自分の信頼がまずは大事になって来る。

 

信頼が無いと仕事を依頼されない。

 

でも信頼を獲得するには難しい、トリッキーなことをするのではなく

まずは「ちゃんとする」ことが大事なんだよね。

 

毎日の仕事をいい加減にやらずに丁寧にやること。

約束は守ること。

挨拶をしっかりすること。

 

 

自分の仕事ぶり、生き方はどこで誰が見てくれているかわからないから。

 

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もしかしたら親孝行って日常の共有なのかもしれない

今日

 

母親と2人でお昼を食べた。

 

2人でお昼を食べるのなんて

 

いつ振りだろう?と思ったけど

 

そんな思い出せないぐらい

 

昔の記憶なのって

 

嫌だなって思った。

 

週一では家族で実家に行ってるから

 

頻繁には会ってはいるんだけど

 

こうやって2人で会うのって

意識しないと難しい。

 

親孝行したいってみんな思ってるけど

 

親孝行って別に高いレストランや海外に連れてく事だけじゃなくて

 

『何気ない日常をちゃんと一緒に過ごす事』

 

だと思う。

 

年に一回だけ一緒に旅行に行くのも

 

勿論素晴らしい。

 

でも僕は

 

ご飯を一緒に食べる

 

という日常や

 

カフェでお茶しながら話をする

 

なんていう日常を

 

大切にしていこうと思った。

 

自分の親ってまだまだ死なないって

 

心のどこかで思ってしまってるけど

 

そんな事は無くて。

 

もし明日、

親が死んだ時に出てくる後悔は

 

旅行に連れてってあげた事や

プレゼントを沢山買ってあげなかった事

 

なんかじゃなくて

 

絶対に、

 

『もっと一緒に過ごせば良かった』

 

だと思う。

 

 

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仕事を断る勇気

今日、東京大学で行われていた

 

【働き方を考えるシンポジウム】に

芦名さん

芦名佑介(@ASHINA_ashina)さん | Twitter

が登壇するので一緒に行ってきた。

 

講演の中で

 

【仕事を断る勇気】の話を

芦名さんがしていた。

 

海外では仕事を振られた時に

『それをやるなら追加で1万円貰わないと出来ません』

 

と従業員が交渉する文化があるらしい。

 

改めて【仕事を断る事】について

考えてみると、

これは日本では殆どないなって思った。

特にサラリーマンだと。

 

そもそも仕事って

【どこまでが自分の仕事で、どこからが自分の仕事じゃないか】を明確にするのは非常に難しい。

 

だからなのか

『これ私の仕事じゃないし』って思ってても言えない。

 

そして

自分の仕事じゃないことはトットと片付けて、、、なんてやってると

仕事が早いね!!なんて言われて

 

逆にドンドン仕事が降ってきて

ドンドン忙しくなる無限ループ。。。

 

ちーん。

 

でも

もしここで、

 

『これ、私の仕事じゃないのでやりません』とか

『やっても良いですけど追加で報酬は貰わないとやらないです』

 

みたいな事を言うことが

 

【普通】だったとしたら。

 

それが【当たり前の働き方】だとしたら。

 

どうなんだろう?

 

 

【仕事を断る】って

凄い勇気が要ること。

 

だって

断ったらもう依頼されなくなるかもしれないから。

 

特に

自分でビジネスをしていたら尚更。

 

でも

 

不条理な条件をいつも飲んでいたら

いつまでも自分の単価は上がらないし

生産性の向上なんてムリ。

 

自分の単価を上げるには

仕事を断っても

それでも依頼してもらえるように

自分のアウトプットを磨き続けるしかない。

 

これは何もフリーランスや自営業者に限ったことではなくて

サラリーマンも同じ。

 

常に自分の価値、単価を考えて仕事をしていかないと

 

サラリーマンを辞めた瞬間に自分の力で稼ぐことが出来なくなる。

自分の価値に値段が付けられてないから。

 

 

自分の現状より少し背伸びをした

単価の仕事を取ってきて

 

その期待に応えるために

 

全力で努力していく。

 

つまり

 

現状の実力に単価を合わせるんじゃなくて

 

理想の単価で仕事を取って、

その単価に自分の実力を上げていくこと

 

が必要なんだよね。

 

一度仕事を断って

単価と実力を上げていく。

 

断ってしまって

もう依頼してもらえなかったら

そこまでの実力だったってこと。

 

その時は歯を食いしばりながら

自分の実力を認めればいい。

 

『お願いなので依頼させてください』

 

と言われるように頑張るしかない。

 

自分の人生も仕事も自分で決めるんだ。 

 

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